新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
ブログが更新されていないと思ったら、先月入力途中の記事が出てまいりました(^^;)
新年早々思いやられますが、ひとつやさしい目で見守っていただきたいと思いますm(__)m
-ここから12月の記事です-
NHKの大河ドラマもあと少しです。今年のドラマは紫式部の物語ですが、登場人物がどこまでいっても「藤原家」で誰が誰やら・・・。最初の時点でワタクシ管理人は挫折しかけ、飛び飛びで見ておりました。
たまたま昨日(第46回か47回)のドラマでお茶に関するシーンがあり、見入りました。
主人公まひろ「紫式部」が念願の旅が許され大宰府へ行くのですが、大宰元権帥 藤原隆家に謁見した際に抹茶をふるまわれます。
「宋の国の茶というものだ、飲んでみよ」と言われ抹茶を飲むシーンがあります。ここでは茶を点てる時に茶筅ではなくささらのようなもので粉末の茶を溶いています。また、ここで「この茶は目にも良いらしい」というセリフもあります。現在の喫茶というよりもお薬として飲まれていたような一面もあったことを表したシーンでもあります。
日本で茶を栽培するきっかけは栄西禅師が中国から茶の種を持ち帰った事だと言われていますが、日本で茶についてのもっとも古い記録は「日本後記」にあります。遣隋使や遣唐使によって日本に伝わったようです。平安時代に飲まれていた茶は、当時唐で飲まれていた茶「餅茶(へいちゃ)」(固形茶)というもので、生の葉を蒸して餅状に固めたもので、飲むときに必要な分だけ切り取って火であぶり、薬研で砕いて粉末にし、釜で煎じたものでした。しかし、このお茶は匂いが強くて日本人の好みに合わず、その製茶技術は普及しなかったようです。丁度894年に遣唐使が廃止されたこともあって、この固形茶は衰退していったと考えられています。
その後中国で仏教を学んだ僧侶から今でいうところの「抹茶」が伝わり広まります。
鎌倉時代初期に臨済宗の開祖と言われている栄西禅師が、高山寺の明恵上人にチャの種を贈ったことから京都でのお茶の栽培が盛んになっていったということです。また、この栄西禅師が記した「喫茶養生記」という日本最古の茶書にはお茶の効能が述べられています。その後日本では独自に「抹茶道」が出来上がって発展していくわけですが、中国では時代が進むにつれて富裕層の飲み物が一般市民へと広がるにつれて様々なお茶が登場していきます。(蒸し製から釜炒り製の茶に変化したり、ジャスミンの香りなどを着香させた「花茶」、半醗酵茶の「烏龍茶」など)
携帯電話のガラパゴス化のようなことがお茶の世界でもあったのですね。
今回のドラマで抹茶のガラパゴス化の入り口を見たような気分になりました(^_-)-☆
因みに日本では抹茶のみが飲まれていたわけではなく、抹茶伝来以前でもお茶は飲まれており、各地域で今も様々な飲み方で残っています。興味のある方は調べてみると面白いですよ。